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ハワイと沖縄のつながり

「青い海に、青い空」という言葉が共通することから、
よくハワイと沖縄が比較されています。

日本からハワイへと人が移り住んだのは、
今から約100年以上も前のことになります。

当時の移民たちが、ハワイへと伝えたもので、
私たちにも馴染みのあるものがあります。

一つは、かき氷で、現地では「Shave Ice(削った氷)」
という名称で親しまれています。

二つ目は、「ふりかけ」で、
そのままの名称で定着しています。
その人気は、「I ハート(LOVE) FURIKAKE」Tシャツの
ロゴとしてデザインされるほどです。

ハワイと沖縄を結びつけるうえで、
忘れてはならないエピソードがあります。

第2次世界大戦中、アメリカ軍に通訳兵として同行していた
比嘉トーマス太郎氏によって、
沖縄の惨状が写真に収められ、
新聞に掲載されました。

この時、沖縄系移民の人たちを中心に、
沖縄救済会が結成されます。

戦火によって全滅の危機に瀕していた豚を救うために、
アメリカ本土から550頭の豚が買い付けられ、
生きたまま沖縄へ送られました。

この出来事は書籍やミュージカルとなり、
2017年3月5日には、
うるま市民芸術劇場の敷地内に
「海から豚がやってきた」記念碑が建てられました。

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ハワイの歌を知ろう

ハワイは、日本人にとって
観光で行く場所の一つと考えられていることは
否定できません。

一方で、ハワイは
悲しい歴史のある地であることも忘れないでください。

ハワイには、現地の言葉で歌われている曲が
何千もあるといいます。

なかでも有名な「Hawai‘I Aloha」では、
悲しみと希望が歌われています。
陽気なリズムではあるので、
楽しく体を揺らしてしまいがちですが、
歌詞の内容と背景を知ると、
印象が違ってくるかもしれません。

州歌でもある「Hawai‘i Pono‘i」は、
ハワイが王国だった頃の国歌でもあります。
ハワイ王国7代目の王様である
カラカウア王が、作詞を行いました。

国歌として歌われていたのは、
1876年から1893年までです。
そして、1967年に改めてハワイ州歌に定められました。

州歌といっても、歌詞に含まれる意味は
「王族を称え、功績を伝え、国民の義務を果たせ」
というものとなっています。

ハワイでは、歌を「メレ」といい、
カテゴリーとして王族を称える歌「メレ・イノア」があります。

メレ・イノアには、カメハメハ一世から五世までの5曲と、
選挙によって選ばれた、ルナリロ王、カラカウア王、
リリウオカラニ女王のものがあります。

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ハワイに欠かすことのできないラグジュアリーホテルの歴史

ハワイは観光産業がさかんです。
特に、オアフ島のワイキキはハワイ観光業の
アイコン的存在だと言っても間違いではありません。

ワイキキビーチ前に並んでいる「ラグジュアリーホテル」
を見れば、観光業がさかんだと一目瞭然です。

19世紀後半の、ハワイ王政時代から
ホノルル地区は開発が進んでおり、
リゾート計画はありました。

リゾート開発には、宿泊施設の必要性があります。

1893年にハワイ共和国になり、1900年にハワイが
アメリカの領土になると、その必要性はさらに高まります。

1901年にワイキキ観光業初となる
大型ラグジュアリーホテル、「モアナホテル」
が開業しました。
(現在はモアナサーフライダー ウェスティンリゾート&スパ)

ここから、綺麗な海とビーチを臨むように
多くのラグジュアリーホテルの建設が始まります。

とは言え、ワイキキが観光業をメインに
繁栄を始めたのは、第二次世界大戦終了後、
しばらく経ってからになります。

1950年代からアメリカ本土、他国から続々と
ハワイに飛行機ややってくる人が増えました。

急激に増えた観光客に向けた大規模宿泊施設が
必要となり、高層ビル化を果たしながら
続々と「ホテル」がオープンしたのです。

時代ごとに求められている宿泊施設を提供する、
そういう歴史があるのも観光業がさかんな
ハワイ、ワイキキならではと言えるのではないでしょうか。

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ハワイの食の歴史をひもとけば…なじみ深い味でした

ハワイの名物グルメであり、
日本でも人気のハワイアンフードに
「ポキ」があります。

ポキの中でも「アヒポキ」は、現地でも
レストランのメニューだったり、
スーパーで売られていたり、
目にすることがとても多いハワイアンフードです。

アヒポキは、ハワイ語で「まぐろ+(魚を)切る」
という意味があります。

一口サイズにカットしたまぐろの料理ということです。

日本のメニューでは、まぐろだけではなくサーモンや
はまちなどといった魚で「ポキ丼」として
ランチメニューになっていたりします。

日本で通常メニューになるほど人気なのは
理由があります。

アヒポキの味付けが、日本人のなじみ深い
調味料をしようしているからです。

一口サイズのまぐろやアボカドに
醤油やごま油などで味付けをしています。

ハワイ味の海鮮丼という感じですね。
現地では「丼」ではないことが多いです。

ハワイには19世紀末から20世紀にかけて
多くの日本人移民が暮らしていました。

伝統的な「アヒポキ」に日系人らしく
アレンジを加え変化してきたものが
現在の味付けになっていると言えます。

ハワイ発のおいしい食べ物はたくさんありますが、
「間違いない」ハワイアンフード1位は
ハワイの歴史と共にある「アヒポキ」
ではないでしょうか。

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ハワイの近代化はカメハメハ大王から

ハワイオアフ島の誰もが知っている観光名所は、
「カメハメハ大王像」ですよね。

ハワイビギナーの方からハワイ通の方まで、
「行ったことがある」方がほとんどでしょう。

カメハメハ大王は、
「ハワイ王国を建国した」人物として知られていますが。
王国は簡単には建国できません。

ハワイという国を「統一」した人物ですから、
ハワイのイメージだけでは推し量れません。

日本でも、「統一」と言えば織田信長を
イメージする方も多いのではないでしょうか。

新しい便利なものを取り入れて、新しい世の中を作る、
というのはどこか似ていると思います。

4つに分かれて統治されていたハワイを
新しい武器や戦術を駆使して統一に導いた人こそ、
有名なカメハメハ大王なのです。

初めてハワイの歴史、カメハメハ大王のことを
知った時は、どことなく違和感があったのは、
ハワイがのんびりした土地柄だったからでしょうか。

争うというイメージが持てなかったというのが
正直な感想でした。

けれども、像として佇むカメハメハ大王は、
ハワイという国らいしい王の姿をしています。

新しい武器を取り入れて近代化を認めるも、
「ハワイらしさ」は忘れずに持ち続けていた王の姿と、
これからも写真を撮る人がなくなることはないでしょう。

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ハワイのサンゴで作られている「石の教会」

ハワイをもっと知りたい!
と思う人は、ハワイの歴史を学ぶことも多いです。

歴史というと何だか学校の勉強みたいで…
と敬遠してしまう前に、ちょっと違う方法で
歴史を学んでみませんか。

ハワイの名所や建物「だけ」の歴史をまずは
知ってみるといいかもしれません。

心惹かれるものからであれば、
関連した事柄もスムーズに受け入れることが
できる可能性が高まります。

美しい建物が好きな方であれば、
「カワイアハオ教会」がおすすめです。

外観は白を基調とした石造りで麗しく、
1842年に完成したオアフ島最初の教会となります。

最初、というのは歴史を知る上でとても重要ですね。

「偉大なる石の教会」と呼ばれるカワイアハオ教会は、
その石にとても特徴があるのです。

この石は、ハワイの海から採取したサンゴから作られています。
およそ1万4千個を使用していると考えると…
建物そのものにも物語を感じます。

綺麗な外観がどのようにつくられたのか、
これもハワイオアフ島の歴史の一部だと言えます。

美しい緑や空を背景に建つカワイアハオ教会は、
建物全体がハワイの象徴のようです。

国定歴史建造物だから、ではなく
魅力を感じる部分から「当時の物語」を探ってみると
さらにハワイのことを知ることができると思います。

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ハワイの歴史と共にサーフィンあり

「波乗り」をスポーツとしたサーフィン。

古代ポリネシアの漁に出る際に乗っていた
カヌーが起源とされています。

漁業を生業としていたポリネシアの人々は、
サンゴ礁の外へ行けるようにカヌーを調節し
押し寄せる波をとらえながら漁をしていました。

「波乗り」はこういった生活に密着して
生まれたものだったのでしょう。

波をとらえて乗ることは、その後楽しみと
なっていきます。
カヌーもサーフボードの原型のように
進化していくのです。

ハワイの歴史と呼応するように、
ハワイ独自の文化であるサーフィンも
禁止された時代がありました。

限られた中でサーフィン文化を継続させ、
大きく発展させる力となった人がいます。

現代サーフィンを普及させた
「デューク・カハナモク」は
サーフィンの父と呼ばれています。

ワイキキビーチに銅像が立っているので、
ハワイの歴史を感じるために
一度訪れてみてください。

サーフィンはスポーツとして楽しまれる
だけではなく、ハワイの文化を担う発信源
としての役割を担ってきました。

ファッションやカルチャーにも影響を与え、
ハワイに留まらず全世界に親しまれています。

ハワイ発祥のサーフィンは、年月をかけて
「遊び」「スポーツ」という枠組みを超えて
生活の一部になっているのです。

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ハワイだけどアメリカ?50番目の州になるまで

ハワイやグアムはアメリカ領の島だ、
と思われている方もいるかもしれませんが、
ハワイはアメリカ合衆国50番目の州です。

アメリカには50の州があるので、
ハワイは1959年に最後の州として
認められて成立しました。

けれど、ハワイは確かにアメリカっぽい気もするけど…
やっぱりハワイはハワイじゃない?
と感じませんか。

アメリカだけどハワイには
独自の文化と歴史があります。

もちろん良い歴史ばかりというわけでは
ありません。

1500年以上前にポリネシア人が
カヌーでやってきて、
1000年ほど前に定住者が出始めました。

この頃に「フラ」や「サーフィン」など
ハワイを代表するものが誕生しています。

ハワイ文化は途中衰退する時期がありつつ、
現代まで継承され続けています。

ハワイ王朝、西洋との交流、経済の発展を経て、
クーデターが起こりアメリカの属領となり
20世紀を迎えます。

ハワイの豊かな自然や受け継がれてきた文化、
「アロハ」スピリットは、世界中の人が訪れたい
と願う場所です。

だからこそアメリカ本土の影響は受けつつも、
独自のハワイのあり方が認められています。

ハワイらしさを失わないことこそが、
アメリカ合衆国50番目の州である
「ハワイ」にとって必要なことなのです。

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ハワイと日本の絆 150年の移民の歴史

海外へ行くならどこの国(地域)?
新婚旅行へ行くなら?
ゆっくり滞在するなら?
暮らしてみたいのは?

こう聞かれて、日本人がまず一番に
イメージするのは
「ハワイ」ではないでしょうか。

温暖な気候とさわやかな風
暑いけれどからっとしている空気
何よりもとびきりキレイな海
どれも日本にはなく、憧れますね。

ハワイは日本だけでなく、多くの国の
人からも「楽園」と呼ばれています。

英語が苦手な日本人がハワイを訪れても…
結構大丈夫。

不自由な感じがしないのは、
それだけ日本人が観光で訪れているから、
と思っていませんか。

日本とハワイの関係はそれだけではありません。

江戸時代の終わりから明治初年、
多くの日本人移民が海を渡ったことにも
関係しています。

労働者不足を補うための官約移民がスタート
でしたが、その後形を変え、移民禁止法が
出されるまで約60年の間に、約13万人の人が
ハワイに移住しました。

日系移民は、単なる労働者から各分野での
進出・活躍を通してハワイ社会に
受け入れられたのです。

そして、それは戦中・戦後ともに
変わることがありませんでした。

こうして日本人がハワイを訪れて、
快適に過ごすことができるのは、
150年以上にもわたる、ハワイと日系移民の
功績と絆によるものなのです。

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ハワイの歴史にサンダルウッドあり

 現在は美しい海と見どころ豊富な観光地

として有名なハワイです 

 

その歴史は、多くの変遷がありました

有名な「ハワイ王朝」は、アメリカに併合されるまで

約1世紀に渡って存続しました 

 

そのハワイ王朝の樹立に大いに貢献したのが

「サンダルウッド」です 

 

日本では「白檀(びゃくだん)」の名で有名ですね 

 

18世紀後半に成立したカメハメハ一世の頃、

外国船がハワイややってくるようになりました 

 

外国から武器などを購入するためにハワイには

何があるか…「貿易」が必要になったのです 

 

ハワイの人たちはそもそも「貿易」

なんて知りませんでした 

 

でも、ハワイの森には外国では高値で取引される

「サンダルウッド」がたくさん自生しています 

 

「武器などを輸入するかわりに白檀を輸出する」

ことにより、ハワイ王朝は経済的な自立が

可能となったのです! 

 

ですが…サンダルウッドは乱獲されすぎて、

ハワイから姿を消しました 

 

わずか50年にもみたない期間だったので、

その乱獲の度合いがわかりますね 

 

白檀の島と呼ばれたハワイの白檀貿易は、

衰退することとなります 

 

現在のハワイでは、白檀がなくなってしまったのか… 

 

ハワイの森で探すともしかしたら

いいにおいのする自生のサンダルウッドが

みつかるかもしれませんよ

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ハワイとクジラの関係

ハワイでは、海水浴や観光以外にも
たくさんのツアーがあります

その中のひとつである
ホエールウォッチングは、
泳いでいるクジラを
見ることができるので人気です

ハワイ沿岸では、ザトウクジラの
保護区域なので、安心して泳いでいる
クジラを見れるのです

ザトウクジラは北太平洋を
群れをつくって回遊しています

ハワイで1年中見れるわけではないのです

ハワイでのクジラは11月から4月が
ピークです

今年は後少し!
冬場に小さかった赤ちゃんクジラも
4月頃には大きく成長しています

現在のハワイは、クジラを含む
海洋生物をとても大切にしていますが、
歴史的にはクジラはお客様
という感じでした

冬場のみのお客様…は、
アメリカの捕鯨船もそうだったでしょうか

北太平洋を回遊しているクジラを追って、
1800年代に遠洋漁業の捕鯨船基地として
ハワイに降り立ちました

だから、ハワイの人にとっては、
クジラと捕鯨船の人たちは
セットだったのでしょうね

かといってハワイの人たちが
捕鯨をするようになったかと言えば…
そうではありませんでした

それでも、現在のハワイにおいて、
クジラはとても重要です

クジラのダイナミックなブリーチングを
楽しみにハワイを冬場に訪れてくれる
方もたくさんいらっしゃいます

ハワイの海を楽しむひとつの方法として
クジラの歴史とホエールウォッチングは
いかがでしょう

ハワイには伝統的なフラ「カヒコ」もあります

お子さんやお母さんたちの習い事で人気の
フラダンス

優雅で美しいダンスと音楽は、ハワイ好きでなくとも癒されます

日本人にも身近なフラダンスですが、
「フラとはハワイであり、ハワイとはフラだ」
と言う言葉があるほどハワイ文化を体現しています

自然や生活、ダンス…すべてに神が宿っている、
文字をもたないハワイの人々が神に捧げるもの…
そんな神聖な儀式がフラのはじまりとされています

神々への祈るための儀式なので、現在のイメージとはちょっと違います

原始的な楽器で音をつけるだけ
男の人が祝詞(メレ)を唱える
女性たちがメレを体現したフラを踊る

これが伝統的なフラ(カヒコ)でしょう
カヒコは誰でもできるわけでなく、
選ばれし人のみが神への儀式に参加できます

現在のようなウクレレの音色や歌声に合わせて踊るフラは、
「アウアナ」と呼ばれており、欧米文化の影響を受けています

19世紀前半にアメリカの宣教師がやってきてから、
多くの神を信仰するハワイの文化は排除されました

その後50年以上…伝統的なハワイの文化は禁止され続けました

1883年に当時の国王が伝統文化の復活を決め、
多くのハワイアンが喜んだことは当然でしょう

こうして、西洋の音楽と融合したアウアナも誕生し、
ウクレレやギターで歌い、ムームーを着て、レイをかけて踊る
多くの人がよく知っている「フラ」が誕生したのです

現在、「カヒコ」「アウアナ」分かれて、どちらも踊られています

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ハワイで人気の歴史ツアー

ハワイに行けば!
それはもうウキウキショッピングやおいしくてびっくりするフード
キレイなビーチで海水浴や日本とは違う波でサーフィン

楽しすぎるリゾートこそハワイですよね

けれども…ハワイはリゾート地として開発されただけの場所ではありません
ちゃんとした歴史ある場所なのです

カメハメハ大王でしょ
太平洋戦争はじまりの真珠湾でしょ

…だけじゃないんですよ
ハワイの歴史は新しい発見の連続なのです

ハワイ通もハワイ初心者の方も今まで知らなかったハワイの歴史を知れば
もっとハワイのことが好きになるはずです

ハワイには王朝時代があったのは、大王の像を見て何となく知っている
ダウンタウン歴史街道ツアーは、そんなハワイの王朝時代を知ることができます

ダウンタウンには、大王や王族の隠された足跡がたくさんあるんです

アメリカでは唯一の王宮、イオラニパレスはご存知でしたか?
(アメリカで王朝があったのはハワイだけですからね)

オアフ島最古の教会や王族の教会のステンドグラスは知られざる歴史がわかります

ワイキキ歴史ツアーも、徒歩やセグウェイなどを使用して
先史時代のハワイやあちこちに残るハワイの歴史を知ることができます

日本語でガイドをしてくれるから、とっても安心
びっくりするような意外なハワイに出会ってみてください

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ハワイのカホオラウェ島に思いをはせて

日本人は
「海外旅行でいきたいところは?」と聞かれて
「ハワイ」と答える人が一番多いんですね

その気持ち、とってもわかります!
ドラエモンのどこでもドアがあるのなら
毎日ハワイに遊びに出かけたいですもん

自然がいっぱいでキラキラ輝くハワイですが
ハワイの8つの島の中で
観光客が入ることは許されない島が2つあります

それは、カホオラウェ島とニイハウ島
ニイハウ島は島自体が私有地なので立ち入ることはできないのですが
カホオラウェ島の立ち入り禁止の理由を聞いて心が痛みました

さみしいことに愛称は「禁断の島」
豊かな自然のイメージがあるハワイにありながら
衛生写真で見ても緑が少ない茶色の島です

戦争で島の土地が荒廃し
カメハメハ3世の時代には流刑地にもなったみたい
太平洋戦争や、朝鮮戦争・ベトナム戦争の時には
米軍の演習地として利用されていたため
いまだに多数の不発弾なども残っています

1993年に島はハワイ州政府に返還され
今はカホオラウェ島では米軍演習の残骸の除去と
植生の回復活動が行われていると知りました
美しい緑豊かな島によみがえってほしいですよね

このカホオラウェ島は
「先住ハワイ人の文化的・宗教的活動にのみ使用される」
と決められたそうなので、足を踏み入れることはできませんが
島の幸せを願いたいと思います

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オアフ島で発見!「ヨコハマ・ベイ」

オアフ島の地図の中に「ヨコハマ ベイ」という
ビーチ名がのっています
このヨコハマという名前
実は日本のヨコハマのことをさしているようです

ホノルル空港から車で1時間ぐらい走った
オアフ島の北西部の先端付近にあるのですが
本来の地名は「ケアラウア」
どうやら昔からの名前ではないようです

100年ほど前の地図には
この「ヨコハマ ベイ」の名前はのってないのですね
どうしてこの名前がついたのかちょっと興味がわきませんか?

説はいろいろあるようです
ある方が地元の形に聞いたら
ヨコハマという名前の日本人がビーチに打ち上げられたから
なんて言う説もそのうちのひとつ

真相はわかりませんが
他の説を聞いてもやはり日本人に関係はあるようですよ

一番語られているのは
ヨコハマ出身の日本人が、休日によく釣りをしていたから

ヨコハマ港を出航した移民船で日本人が渡り住み
故郷を懐かしんでヨコハマ ベイと名付けた

ハワイ王国と明治政府は日布渡航条約をむすび
2万人を超える日本人がハワイに渡ったそうです(布はハワイのことです)

たしかに、地図でみると
オアフ島の中ではヨコハマ ベイが一番日本に近い位置にありますよね
かつてハワイに渡った日本人の方たちが
海の向こうにある故郷をこのビーチで偲んでいたのかもしれませんね

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アロハシャツ誕生は着物がきっかけ?

ハワイのホノルルと日本の神奈川県茅ケ崎市とが
姉妹都市になったと聞きました
茅ヶ崎市といえば湘南の海のイメージがひろがります、
加山雄三やサザンオールスターズの桑田の出身地としても有名ですね

湘南茅ヶ崎では夏のクールビズを「アロハビズ」と呼ぶそうです
2003年からアロハビズがはじまり
夏季は市役所の職員さんもアロハシャツ姿
フラダンスの教室も市内に100以上あるときいて驚きましたし
スローライフ的なゆとりある雰囲気がハワイを彷彿とさせるのでしょうか

アロハシャツといえば、ハワイ的な感じがしますが
このアロハシャツの始まりに着物が関係しているという説が
有力ということを皆さんはご存知でしたでしょうか?

ハワイには1800年代あたりから多くの日本人が夢を抱いて移住
サトウキビやパイナップル農業などを営み始めたそうです
当時、農園では「パラカ」という開襟シャツを
作業服として利用していました
そのバラカの生地が日本の絣(かすり)に風合いが似ていて
着物をバラカシャツに仕立て直して着たことがはじまりです

着物の素敵な柄に心ひかれた現地の人たちから
ぜひ、着物でシャツを作ってほしいと依頼を受けるようになって
アロハシャツは誕生したそうです

ハワイと日本って昔から縁深い間柄だったのですね

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ハワイの成り立ち

ハワイは6世紀ごろに東南アジア系の民族が移り住んだのがはじまりとされています。
その後はタヒチなどからも民族が渡ってきてハワイの原型が形作られてきました。

ハワイはしばらく、外界とまったくコンタクトをとらない期間があり、
その間は石器などで原始的な生活が営まれていたと推測されています。

そしてジェームズ・クックが1778年にハワイを発見し、世界に知られることとなりました。

それまではハワイの各島や、部族間の争いなどがありましたが、
1795年にカメハメハ大王がハワイを統一しました。
カメハメハ大王の名前は日本でも童謡に歌われ親しまれていますね。

その後キリスト教の到来や、急速な産業革命から欧米の植民地拡張によって
じわじわと白人勢力が広がって行きました。

その後、ハワイの王はクーデターにより捕らえられてアメリカに降伏し、
アメリカの州となったのです。

ハワイの先住民族にとって悲しい思い出を含んだ歴史なのですね。
ハワイの植物には、白人を島に入れないためにトゲをもった植物にそのような
名前を名付けたものが残っています。

ハワイの歴史は沖縄の琉球王国の歴史に似ているところがありますよね。

知ろうとしないとなかなか知るチャンスのない歴史ですが、
知ってからその場所へ行くと、深みが増します。

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